生き甲斐を奪われた過去…トラウマや心残りなど①

 

ちょっと大げさな話かも知れませんが、これまでの人生で、自分の一番大切にしていたものを失った経験ってありますか?

それは大切な人でも、思い出でも、体験でも何でも良いです。

とにかく、その何かが自分の人生の中で沢山の面積を占めていたというか、人生の根幹になっていた存在の事です。

今回はあまり話したくなかったんですが(自分の中でもまだ整理が出来ていない)、僕の過去において、その大切なモノを失ったがゆえ、色々と人生が変化していったお話をします。

まだ正直抜け出せていないんですが、何か同じような体験をした人に、少しでも共感してもらえればという想いです。

 

吹奏楽コンクールに打ち込む部活時代

 

僕は3歳からピアノを習っていました。姉が習っており、自宅で練習していたのを隣で真似して弾いていたのがきっかけです。自分では覚えていないですが、母親の勧めで通うことになっていました。

そのまま中学生に進むと、吹奏楽部に入ります。入学式の中の部活紹介で先輩達が演奏していたのを見て「カッコイイ!」と思ったのがきっかけですね。

ピアノを習っていたのが助かりましたね。部活が忙しいのでピアノは辞めましたが、その後僕の人生は、この吹奏楽部に始まり、音楽とは切っても切れない存在になっていきます。

 

中学、高校、大学とずっと部活を続けました。大学なんて、吹奏楽コンクールの受賞歴が凄いからというだけで入学決めましたからね。

吹奏楽の中で、僕はトロンボーンを吹いていました。

トロンボーンって、トランペットやサックスと違って、旋律を吹いたり、ソロがあったりするような花形の楽器ではないんですね。

どちらかというと、和音を作ったり、バンドのハーモニーを支えたり、旋律の音に重ねて幅を出したりといった、脇役の方が多いんですね。

経験したことある人は分かると思いますが、その役割がまた最高に気持ち良いんですよ。

目立って旋律を吹くのももちろん良いんですが、陰でバンドの音を支えるというか、トロンボーンがあるからこそ、このバンドのハーモニーが決まるって役割が職人肌に合うというか。

トロンボーンに関しては思い入れが強すぎて書ききれません。今日の内容はそこではないので、トロンボーンの魅力については別の記事を書きますね(笑)

 

楽器つながりで出来た人間関係

 

ハーモニーを奏でる楽器だからこそ、一緒に吹いているメンバーとのコミュニケーションも大事になってきます。仲間意識を持って同じ様に曲を理解して合わせるということです。

部活であれば、コミュニケーションや仲間意識というよりも、先輩から後輩への指示ということで、後輩は半ば無理矢理先輩に合わせることもあります。でも、社会人同士になるとそうは行きません。

社会人は楽しむもので、指示を出されて演奏するものでは無いですよね。部活気分が抜けないと、社会人でもその様な状況になってるバンドも多いのですが、僕の所は違いました。

僕は社会人になっても、ずっとコンクールで全国大会出場レベルの団体に所属していましたが、その中でのメンバーには本当に恵まれていました。

指示を出さなくても意思が伝わる。言葉じゃなくて演奏を聞いて寄り添ってくれるんですね。みんな意思はあって吹くんですが、それが自然と違う方向を向かず、同じ方向を向くんですね。

これって恐らく、これまでの人生で聞いてきたものや感じてきたもの、習ってきたものや練習してきた内容などが似ていて、自然と「良い」とされる演奏を選べる吹き方になっていくんです。

 

よくバンドマンが「方向性の違いで解散!」なんて理由がありますが、僕たちはそんなことありませんでした。

 

だから、あんまり練習しなくたって出来ちゃうんです。もちろん個人練習はそれぞれしっかりやってきますが、一度メンバーで合わせてみれば、「ああ、TOMOはそうやりたいんだね。ならそれにみんなで合わせるわ。」みたいな感じで、2、3回合わせれば完成してしまいます。

 

そんな楽器仲間に囲まれた演奏は最高に楽しいですよ。合わせることの面白さもそうですし、ピターッと決まった時の感動も凄いもので、僕は演奏中に涙ウルウルしたことも何回もあります。

 

だから、僕の人生は、このトロンボーンと、トロンボーンを介して出来た人間関係で溢れていたんです。

社会人になってからは沢山の団体に所属しました。

拠点とする団体はありましたが、そのほかに、アンサンブル専門の団体・たまたまトロンボーン繋がりで集まったコミュニティー・仲の良いトロンボーン仲間での集まり・他団体を含めたトロンボーン会・紹介してもらったプロの演奏家・コンクールで知り合った全国の楽器仲間。

とにかく、トロンボーン1本あれば、これがコミュニケーションツールになって、全国どこへでも楽器を吹きに行ける環境にあったんですよ。

よく、サッカー選手が、ボールひとつあれば、言葉を話せなくても世界中でサッカーを通して仲間が出来ると言いましたが、まさにそんな感じです。

 

僕の友人関係や知り合いはほぼ全て楽器関係で知り合った人。その中で彼女も見つけましたし、年上年下関係なく、とにかく交友関係が広がりました。

僕を直接知らない人に会っても、所属しているバンド名を言えば(誰もが知る全国レベルだったのもあり)すぐに受け入れてもらえましたし、演奏すれば認めてもらえました。

演奏が気に入ってもらえれば、さらに人を紹介してもらい、違う団体に顔を出すキッカケをもらいますし、普段だったら絶対に会えない様なプロの方にも会わせてもらい、一緒に休日に集まって演奏出来る機会にも恵まれました。

 

その中で出会った沢山の仲間と、沢山の経験をしました。思い出も沢山です。

楽器演奏だけでなく、飲み会やバーベキュー、旅行にドライブ、遠方にみんなで演奏会を見にいくなど、書ききれないほどの貴重な体験をしました。

その体験は自分の中で充実感に溢れて、人生を幸せに感じさせてくれるものでした。

平日は仕事をしていましたが、週末になれば楽しいトロンボーン演奏と、その仲間に会える喜び。ただこのモチベーションだけで生活していました。

まさに週末の楽しみのために平日の辛い仕事をこなす、という生き方ですね。でもそれで良かったんです。週末の演奏や仲間との交流に生き甲斐すら感じてましたから。

「ああ、僕の人生はこんな素晴らしい仲間に囲まれてずっと生きられるんだなぁ。」と思っていました。そして、バンドは転勤で場所を変えても各所にあるので、楽器さえあれば人生がずっと豊かに過ごせると思っていました。

 

とにかく僕の人生はトロンボーンから生まれた人間関係で囲まれた素晴らしい人生。これが無かったら気持ちの豊かさは到底持てない。トロンボーンが無いなんて考えられない。だからずっと演奏は続けて行こう。これさえあれば充実した生活が送れる。そう思っていました。

 

続くと思っていました・・・

 

あんなことにならなければ・・・

 

突然楽器が演奏できなくなった。神経系の病気。

 

数年前のある時、僕はより良い演奏を求めて楽器のパーツを変更します。マウスピースというもので、口につけて唇の振動を楽器に伝える最初の部分ですね。

マウスピースを変えるというのは過去に何度もやっていました。サイズや形がほんの少し違うだけで、楽器の音色が全然変わるんですね。

より良いものを探した結果、マウスピースコレクターになってしまうのも楽器経験者あるあるなんですが(笑)

今回は少し大きめのマウスピースに変更しました。変更した時って、たった0.5mmでもサイズが違うと、長年付き合ってきた唇はそれに違和感を感じて演奏が上手くいかないことがあるんですね。

だから、変更してから違和感に慣れるまで数ヶ月は使い続けて演奏に支障がないくらいまで練習を続けていく必要があります。

 

当然ながら、今回もマウスピースを変えてからはすぐに慣れず、演奏もこれまで通りには出来ませんでした。もちろんそれも分かっていましたので焦ることもなかったですね。

年明けの1月くらいに変更したんですが、その先の演奏会予定といえば、6月の定期演奏会、8月の吹奏楽コンクールまでは大きな出番はありません。なので、せめて6月までには慣れればいいかなぁというくらいの意識でした。

ただ、数ヶ月過ぎ、良くなったと思えば悪くなる。まだ慣れていない部分があるのかなぁというのを繰り返します。でも、さすがに5月くらいになるとそろそろ焦ってきました。

なにせ、6月の定期演奏会は目立つソロがある。その定期演奏会でも演奏する曲は8月の吹奏楽コンクールでの演奏曲にも選ばれているんで、僕の役割も大きいものなんですね。

責任感もあるし、周りの目も期待がかかってくるので、ちょっとギアを上げようかなと思い、練習方法も考えました。

平日の仕事中の営業車の中ではマウスピースの練習。慣れるためにとにかく空き時間にはマウスピースを吹く。家に帰ってきたら楽器の練習。平日は時間がなくても最低2時間くらい。集中力が続く日は3時間くらい練習しました。

慣れるにはとにかく吹くこと。手足の様に楽器を操れるためにはとにかく吹くこと。

僕はアマチュア演奏家の中でもかなりストイックな方で、平日の練習量も、基礎練習の数も半端なくこなします。自分の中のルーチンワークが決まってるんですね。

このルーチンワークをこなしていれば、自分の演奏レベルを維持できるのも分かるし、やらないと不安になります。

メジャーリーグのイチローも、試合がなくても毎回必ず同じ練習を繰り返すルーティンが有名ですね。もちろん野球とは種類が違いますが、考え方は同じです。毎日の自分に課した課題をこなすことと、状態を維持すること、本番に向けて整えることの全てを叶えてくれるのがルーティンワークです。

これをこなしていれば、必ずいい演奏が出来るという経験も過去にあったので、自分の中で確信もあったんですね。絶対大丈夫だと。演奏会には間に合うと。

 

こうしてさらに数週間経ちました。演奏会まで1ヶ月を切った6月上旬。

僕の状態はさらに酷いものになっていきました。新しいマウスピースに慣れて上達するどころか、変えた当初より上手く演奏できない状態になっていきました。

今まで何にも苦労しなかった低い音域が出ない。音の出だし(発音)が出来ない。ポロポロと音を外す。狙った音を出せない。余計な力が唇に入る。小さいボリュームで演奏出来ない。

 

とにかく全く楽器をコントロール出来ない状態になってしまいました。

「おかしい。あんなに練習してるのに。これまでこの方法で上手くいってたのに。なんで悪化するんだろう。」

もう演奏会は迫ってきます。

もちろん合奏練習でもポロポロ音を外すし、演奏が安定しません。大事なソロもとても酷いもので、周りからも心配されているのが分かりました。

僕のいた団体はかなり厳しかったので、そんな状態だった僕を見かねた指揮者に、ソロを違うメンバーに交代させられてしまいました。

それまで入団以来勤めていた「首席」の看板も下げられました・・・

 

悔しかったですね。悔しかったですが、こんな自分の演奏じゃメンバーに迷惑が掛かるし、コンクールでもこのクオリティじゃ流石に無理だというのは分かっていたので、僕以外に演奏出来る人がやってくれればバンドのためになるという思いの方が強かったです。

でも、どうして練習量に比例して状態が戻らないのだろう?マウスピースを変えたのが原因か?そう思って以前使ってみたマウスピースを吹いてみましたが、今度は体が今のマウスピースに慣れてきているため、昔のマウスピースを唇に当てた瞬間に違和感が残りました。

演奏会が目の前に来ている僕は、昔のマウスピースに戻して慣れる時間も、今のマウスピースで上達する時間も足りない窮地に立たされていました。

とにかく「いつもと違う。もう自分では分からない。練習の量や質じゃないことは分かる。」

 

こうなるとどんどん不安が押し寄せてきます。

目の前の演奏会はどうしよう。コンクールはこんな状態では舞台に立てない。ただ、直す手段が分からない。一旦練習をやめて唇を休ませようかな?いやいやそんな時間ない。やっぱ練習するしかないか。こんな葛藤を繰り返しながら練習を続けます。

 

もちろんこの状況をメンバーにも相談します。

でも、メンバーもこんな経験はなく、「そのうち慣れるでしょ。」とか、練習方法のアドバイスなんかはしてくれますが、やはり経験がないので理解できない様子でした。

僕はどんどん1人で抱え込む羽目に・・・

 

こんな時にネットである記事を目にします。

 

演奏家を悩ます「フォーカルジストニア」(局所性ジストニア)

という内容です。ウィキペディアにも内容が記載されていました。

正確な運動を反復して行うことと、精神的なストレスや真面目な性格が重なるのが原因なんですが、症状としては、ある動作を行う時に脳が命令を出すと、余分な筋肉までを動かしてしまうというもの。

普段の生活では何も影響は出ません。専門の動作をしようとした時だけです。

例えば、ピアノ奏者がピアノを弾こうとすると小指と薬指が勝手に曲がってしまって演奏出来ないとか、歌手の人が、ある音域からは声帯が震えなくなるなるとか、プロゴルファーがパターで集中するとクラブを振れなくなるとか、野球選手がボールを投げようとすると無駄に力んで全然違う方向に飛んでしまうとか、とにかく専門家に出る症状だそうです。

イップスなどと形容されることもありますね。

 

「あれ?俺も全く同じ症状かも。今まで出来ていたことが出来なくなってる。しかも過度な練習とそれで結果が出ないことによるストレス。ストイックな練習生活。該当するな。」

 

僕もまさにこれでした。

普段はなんともない。楽器を吹こうと楽器を持ってマウスピースに口をつけ、音を出そうとした瞬間に、唇が上に引っ張られるような感覚になる。意識しなくてもです。

楽器を鳴らすため、息を吸って吐くという単純なことが出来ない。吐く瞬間に息を止めてしまう。

マウスピースを吹こうとすると更に出来ない。なんか勝手に力んでる。今までどんな吹き方で吹いていたかも分からないくらい不思議な感覚。

意識すればするほど吹けない。リラックスしようとしても無理。

なんかマウスピースを唇に当てた瞬間に、条件反射的に筋肉が引っ張られる感覚です。

 

さらに、色んな記事を見ていて落胆しました。

 

この症状を回復する治療法や薬は開発されていない。治療法がないわけではないが、筋肉の緊張をとるような神経に影響を与える注射を打てば緩和するが、継続していかなきゃいけないらしい。

外的手術もなくはないが、治る確信はないとの事。しかも手術なんてそんなたいそうなこと・・・

 

ジストニアを発症し、その後回復した演奏家のブログも読んだけど、3年くらいかかって演奏できるようになったが、完治はしなかった。アレキサンダーテクニークというリラックスする技術を学んで心身療法をする方法を活かしているらしい。

とにかく難病だ。発症すると神経が反応するので、自分の意思とは筋肉が違う動きをするらしい。

 

僕もコレだと確信した。単なる不調じゃなかったんだ。だって練習してたし。ただ、その練習し過ぎが問題だった。練習して改善しない焦りが更なる練習を増やした。演奏会に間に合わせようと更にストイックになった。

始まりはマウスピースを変えたのがきっかけだった。

マウスピースなんて変えなきゃ良かったって後悔もした。あのまま普通に練習していればこんな症状を発症しなかったかも。

 

神経内科などの病院に行って診断しようかとも思ったけど辞めた。

そもそも医者が、楽器を吹くという専門的な細かいニュアンスについて理解してもらえないと思ったし、「はいジストニアですね」って言われたところで何も解決しないと思ったから。

病気には原因と結果があって症状があるのなら、原因は自分でも分かった。それならせめて症状を解決する手段を与えて欲しいと思った。

でも、その手段は無いことをあらかじめ知ってしまった。

そんな状況で病名を与えられたところで自分には何の意味もないと思った。

 

吹けないこととジストニアの症状に自分が当てはまったことで、納得した部分はありました。

それと同時に、こんな難病なら、今所属している全国レベルの団体にいることは出来ないなと直ぐに思いました。吹けないことで迷惑はかけられないから。

でも、メンバーにジストニアの症状のことはあまり話せませんでした。

なんか哀れに思われたくなかったんです。そんな状況になった自分のことを。

 

今までトロンボーンが得意ってだけで人生を渡ってきた僕です。トロンボーンがなかったら、明らかに違う人生です。今までの人間関係も、今の立ち位置も。

世界観が変わるほどです。

それを病気になったことで失うことを仲間に話して、これからの充実した人生を失うことを想像してもらいたくなかったし(そんな風には思わないかもしれませんが)、可哀想だと同情をもらいたくなかったんです。

ジストニアは、なった本人しか分からないので、吹けない症状を理解してもらうのも難しいですしね。

 

ただ、差し迫る演奏会とコンクールを前にして、この状態は改善できないのも知りました。

みんなには僕の不調が続いていると思われたでしょう。

結局、僕の代わりに、大事な部分はメンバーに代わってもらい、僕はほとんど音を出すことなく演奏会をやり過ごします。

この年は吹奏楽コンクールで職場・一般の部で全国大会まで行ったんですよ。

今回、初めて人に言いますが、僕は全国大会の本番で、ほとんど音を出していません・・・隣のメンバーが同じパートを吹いていたので、全て彼に任せていました。

全国の舞台で僕は楽器を構え、トロンボーンのスライドを動かしているけれど、そこに音は出ていなかったんです。音を出せなかったんです。

こんなに悲しいことはないですよ。拍手をもらっても、どんなに良い賞をもらっても全く嬉しくありません。そればかりか、どんどん惨めに感じてしまいました。

せっかくの晴れ舞台に演奏できないまま乗っていることの惨めさと行ったら言葉に出せませんよ。

俺なんなんだ一体…

 

「もうだめだ。こんなの耐えられない。楽器はもう続けられないのかな?長い年月をかけて復活する可能性があるとしても、今現役でこのバンドには居られない。休む期間を作らなきゃ。」

そう考えて、バンドを退団することを決めます。

 

これは自分の中では大きな決断でした。

今まで人生をかけて楽しんでいたこと。もはや趣味じゃなくて生き甲斐です。

それを辞めるということ。復活したいから辞めるわけですが、治る可能性もハッキリしない。

とにかく現状のままじゃバンドに迷惑がかかる。

一旦離れて、病気のことをもっと知ってみよう。練習し続ける状況ではなく、ゆっくり時間がある環境にして病気と向き合ってみようと思いました。

 

あとはメンバーに辞めることを伝えなきゃ。

でも病気のことは言いたくありませんでした。

僕のポジションはかなり重要なポストだったので、もちろん止められることは分かっていました。

僕の代わりに吹いてくれる代役も考えましたし、とにかく迷惑をかけないように去りたかったんですね。

だから病気のことを伝えず、適当な理由をつけました。仕事の環境が代わって土日の練習に来れなくなる。予定が未定になるので演奏会やコンクールに参加できなくなる。そんな状態で重要なポストは僕には相応しくない、そんなことを話したと思います。

半ば無理やりですね・・・

とにかく思い入れのあった楽団を僕は離れる決断をしました。

 

そのほうがバンドにも僕にもメリットがあるだろう。

 

その決断は間違っていなかったと思いますが、大切なコミュニケーションツールを失った僕は、その後の人生で気持ちの中に大きな穴を開けてしまいます。

とても塞ぎきれない大きな穴。

それは後で気付きました。

 

ちょっと長くなるので、後半へ続きますね。

コミュニケーションツールを失った僕は、どんどん孤独の世界に陥っていったという内容へ続きます。

次回をお楽しみに!

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